これまで情報の受け手でしかなかった一般生活者が、たやすく「送り手」になれるようになった……なんて言われるようになってから久しい、今日このごろです。
おそらく、おじいちゃんおばあちゃんでも「YouTuber」について見聞きしたことがある人は多いでしょうし、彼らのお子さんやお孫さんが人気配信者だというケースもあるでしょう。
喋りのプロでなくてもスマホひとつで簡単にポッドキャストが配信でき、Instagramなどの使い方ひとつでアマチュア写真家が作品を発表できます。
▼私のポッドキャストもよろしくおねがいしますm(_ _)m
wavve.link
TV、ラジオといった「4マス」と称されるメディアと、アマチュアメディアの境目がだんだんボヤけてきています。
(とはいえ、なんだかんだ言っても「公共の電波に乗る」以上は多くのお金(≒マンパワー&ブレーン)が投下されているわけで、「さすがTVだね」「ラジオすごいね」と思わされる企画はたくさんあると思っています)
商業出版とセルフパブリッシングの境界線
翻って、こと「書籍」についてはどうでしょうか。
「一般生活者が文章を書く場所」という点では、ブームを経て定番化した「個人ブログ」に加え、現在は「note」も注目の場になりました。
「マンガ」もまた、TwitterやInstagram、pixivなど、誰でも手軽に使えるプラットフォームに公開することができます。
誰にとっても、文章やマンガを発表すること自体がたやすくなったのは確かです。
さらにAmazonのKindle Direct Publishingサービスを使えば、Wordで作成した原稿を電子書籍として出版できます。しかも無料。もはや「個人が本を出すならウン百万円も用意しなければならない時代」ではなくなりました。
しかし私には、TVやラジオに比べ、商業出版とアマチュア出版の境目はまだまだ色濃いものであるように感じられるのです。
(「同人誌」という文化についても言及すべきなのでしょうが、今日はちょっと、横に置かせてください)
積極的に手にとってもらえていない?
私はこれまでに3冊の電子書籍を出版しています。
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1冊目は電子書籍専門の出版社からですが、2、3冊目は前述のAmazonのサービスを使い、自力でお金をかけずに出版しました。
単刀直入に言って、売れていません。
もちろん、私のような無名の一般人が書いた電子書籍にお金を払ってくれた読者さん(いや、読者様!)がいるのも事実です。知人でもない通りすがりの方が購入してくれた様子もうかがえて、それはもう感動モノでした。
その一方で「売れていない」という現実もまた存在するのです。出版ボタンを押すとき、あれだけ胸をときめかせ、ドキドキしたにもかかわらず! あの心臓の高鳴り、返してくれよ!
3冊のうち1冊は表紙をイラストレーターさんに描いてもらいました。売上が少ないがゆえに、収益はいまだ赤字です。
敗因はいろいろあるでしょう。
奥ゆかしい性格(!)が災いして、著書のアピール、すなわち宣伝が足りていないこともありますし、ジャンルが「エッセイ」であるためニーズが乏しいことも想像できます。
タイトルの付け方や、Amazon上での検索キーワード設定がうまくいっていない可能性もあります。
そんな数多の理由のひとつに、Amazon利用者の「所詮はアマチュア出版でしょ」という視線もあるのではないかと思ってしまうのです。
本も見た目が9割?
Amazonにはセルフパブリッシング本(以下「セルパブ本」)を検索する機能はありませんが、それでも、セルパブ本は簡単に見つけられます。見分けるポイントは単純に「表紙のクオリティ」です。
プロのデザイナーさんが手掛けているケースもあるので断言はできませんが、多くの場合、セルパブ本の表紙にはそこはかとないアマチュア感が漂っているのです。
(具体的には申し上げません。おそらく、ご覧いただければ伝わると思います)
これだけで「見くびる」人がいるはずです。
「スーパーマーケットで、内容は同じだというのにプライベートブランドではなくナショナルブランドの商品を好んで購入するタイプの人」とでもいいましょうか。
「パッと見の第一印象」というハードルを乗り越えて手にとってもらえたとしても、本文中の文字やイラストのレイアウト乱れ、誤植、ら抜き言葉や敬体と常体の混在などで読みにくさを感じさせてしまったら、「やっぱり、所詮は一般人のお遊びだ」というネガティブな印象につながるでしょう。
実は私にも、心のどこかでセルパブ本を軽んじている節があるのです。
表紙はさておき、ページをめくって「本文を校正してあげたい!」と思わされたことが何度もありました。
目も当てられない誤字もいろいろ見つけました。
ブログのノリそのまんまで、本として読むには心がくじけてしまうこともありました。
……偉そうなことを書いてすみません。ただ私もセルパブ作家のひとりである以上、著者たちの労力は少し想像できます。
だからこそねぎらいの気持ちとともに読むわけですが、それでも「がっかり感」を抱いてしまったということは、執筆経験のない純粋な読者が感じる「読みにくさ」は、相当なものになると思うのです。
セルパブ本のなかには名著もたくさんあるのに、たまたま残念な読書経験をしてしまったがために、「セルフパブリッシング全体」に対して、「どうせ趣味でしょ」「所詮はアマチュア」といったネガティブな印象をもっている人は少なからず存在するはずです。
自分のセルパブ本に誇りをもちたいのに
読書したいのに、なかなか時間が捻出できない! という嘆き声はいつも四方八方から聞こえてきます。
そんな状況で名著や話題の本よりも優先して、前述の印象を抱いているセルパブ本を読むなんてことがあるでしょうか。
私のエッセイ本なんかより、郷ひろみの『黄金の60代』が読みたいでしょう? 私は読みたいです。
……と、こんなことばかり考えているせいで、拙著にもっと売れてほしいと思う一方、「どうせ一生懸命に宣伝したところで、所詮はセルパブ本だし……」という腐った気持ちをもつ自分がいます。
もちろん、そこに甘んじていることに情けなさも感じます。ほかのセルパブ本がどうであれ、自著には自信がある! 矜持がある! 本当はそう言える自分でありたいのです。
魂をこめて執筆し、時間をかけて校正し、タイトルにも表紙にもおおいに悩みました。渾身の力をかけたことは事実なのですから。
おわりに
TVを視聴する時間をYouTubeに回すように、ラジオを聴く時間をPodcast聴取に費やすように、本を読む時間にセルパブ本を手に取ることが、「あたりまえ」になる日はこないのでしょうか?
どうしたら私自身がセルパブ本にわくわくするようになるのでしょうか?
このブログでは、セルフパブリッシング本について考えたことを不定期で書いていきたいと思います。
はてなブログアカウントをお持ちの方であれば、寄稿も大歓迎です(謝礼はできません、すみません…)。
私のTwitter(@yamama48)宛にご連絡ください。