KindleUnlimitedで読んだ本の感想(KDP含む)

せっかくKindleUnlimitedの契約をしたので、読んだ本の記録を書いていきます

『数万人…いいえ数百万人にひとりかも?: ~私の骨髄ドナー体験記~』西村勝義

年末にとても、とても素敵なセルパブ本を読むことができました。

1時間足らずでさらっと読み切れるボリュームでありながら、骨髄ドナーになるとどんな流れで何が行われるのかがわかり、その間の心の揺れ動きも垣間見ることができ、最終的には著者の西村さんのファンになるとともに、「私も骨髄ドナー登録をしてみよう」という気持ちになります。

 

「1時間足らずでさらっと読み切れるボリューム」と書きましたが、セルフパブリッシング(KDP)本にとってはこれが最大のハードルではないかと思います。

ちょっとした誤植や、商業誌とまったく異なる文字づかい、「~である」文と「~です」文のバランスなど、「さらっと読む」を阻むものが非常に多いから。

細かいところで「読む」行為がつまずく回数がある程度のところまで達すると、「もういいや」と途中離脱してしまうものです。あくまで「私は」の話ですが。

本書は第一にとにかく読みやすい。これってとんでもなくすごいことだと思います。

 

著者の西村さんが、最初に気軽にドナー登録をするところから、家族の同意を得ることの重さ、難しさに直面したり、患者さんにとってはまったく気軽な処置ではないことを実感したり。

骨髄ドナーとして決定したときから、いかに自分が万全の状態でなければならないかを気遣いながら生活している描写を拝読して、私自身がいかに「骨髄ドナー登録」を簡単に考えていたかを突きつけられました。

最後に患者さんからのお手紙に接したとき、ご家族と「よかったね」とだけ言葉を交わすシーンはこころに迫るものがありました。

 

恥ずかしながら、私は献血も骨髄ドナー登録もしていません。

さらに恥ずかしいことを書けば、「痛いから」「怖いから」という理由で遠ざけていました。

ところが出産してからというもの、命について考えることが格段に増えたのです。

無痛分娩とはいえそれなりに辛い陣痛を乗り越えてしまうと、痛いだなんて、命のかけがえのなさと比べ物にならない!

思い立ったらすぐ……といきたいところですが、献血もドナー登録も授乳中はできないようで、子どもが卒乳したところで、しっかり成長してくれた奇跡に感謝しながら、いずれも登録したいと思っています。

その決意の背中押しをしてくれるような本でした。

私もこういう本が書けるようになりたい。

セルフパブリッシング本の可能性

f:id:yamama48:20201017115449p:plain

前回の記事では、セルフパブリッシング本を手掛けている身でありながら、どこかで「セルパブ本」というものを軽んじてしまっている私の想いを書きました。

 

本の単価を上げるために中身をふくらました「スカスカ本」

編集の仕事をしていた人と話した際、紙の書籍をつくるのはお金がかかる、という話題になったことを思い出しました。

紙の商業出版書籍は、著者ひとりで完結してしまうセルパブ本とは対照的で、編集、営業、宣伝など複数名からなる「一大プロジェクト」です。

当然ながら、かかわる人数のぶんだけ人件費が必要になります。それをどうやって稼ぐか?

解決策のひとつは「書籍の単価を上げる」ことですが、値付けにはそれなりの理由が必要になります。いちばんシンプルで説得力が高いのは「ページ数の多さ」です。

「ペラペラだけど高級な本」は同人誌で十分! 一般的な本屋さんで、カラーページなしのパンフレットのような書籍が2,000円で売られていたら、よほどのことがない限り購入されないでしょう。

そこで本の単価を上げるため、すなわちページ数を増やすために、本文に余談などを入れ、話をふくらませまくっている作品もあるというのです。いわば、イーストを入れまくりのスカスカパンのようなものです。

Amazonレビューで「同じ話の繰り返し」などと偉そうなコメントがついているのを見かけることがありますが、そうした本はまさに「スカスカパン」の可能性が高いといえましょう。

インプレスさんや金風舎さんなど、本を電子書籍としてのみ販売する出版社もあります。商業出版である以上ある程度の書籍単価が必要となると、いくら電子書籍とはいえ、最低限の文字数は保証されているのではないかと思います。

ページ数も価格も制約なし!必要な情報だけ書かれた「みっちり本」

一方、Kindle Direct Publishing(KDP)を中心としたセルフパブリッシングの電子書籍には、ページ数や文字数という制約がありません。買い手が納得するかどうかは横に置いて、自分の書きたい文量の書籍を、好きな価格で販売することができます。

商業出版では「ページ数を増やすために、話をふくらまさざるをえない」ところを、核となる話だけ書いて販売できてしまうのです。

前述のパンの話でいえば、こねたばかりでふくらんでいないパン生地のままでも、商品棚に置けるということだ! ……へたくそな例え話になってしまい、後悔していることを白状します。

パン云々の話は忘れるとして、無駄なく情報を入手できるのは読者にとっても大きなメリットではないでしょうか。

商業出版が「企業のビジネス」でしかなかった時代の書籍は、基本的には「お金になるニーズ」しか汲み取られていませんでした。

しかし「個人の趣味」「個人のビジネス」としてのセルパブ本であれば、ニーズの規模を意識する必要はないのです。著者が無名の一般人であろうとも、発信している情報と読者ニーズが合致しさえすればいいのです。

情報を欲している人にとっては内容が重要なのであり、うつくしい装丁や、著者が著名人であることなどはたいして求められていないでしょう。

そう考えると、セルフパブリッシング本には小規模ながらもビジネスとしての可能性も秘められているように思います。


▼拙著一覧です。紹介ページをご覧いただくだけでもハッピーです!

amzn.to

私のなかの「所詮はセルパブ本でしょ」を払拭したい

f:id:yamama48:20201012120510p:plain

これまで情報の受け手でしかなかった一般生活者が、たやすく「送り手」になれるようになった……なんて言われるようになってから久しい、今日このごろです。

おそらく、おじいちゃんおばあちゃんでも「YouTuber」について見聞きしたことがある人は多いでしょうし、彼らのお子さんやお孫さんが人気配信者だというケースもあるでしょう。

喋りのプロでなくてもスマホひとつで簡単にポッドキャストが配信でき、Instagramなどの使い方ひとつでアマチュア写真家が作品を発表できます。

▼私のポッドキャストもよろしくおねがいしますm(_ _)m

wavve.link

TV、ラジオといった「4マス」と称されるメディアと、アマチュアメディアの境目がだんだんボヤけてきています。

(とはいえ、なんだかんだ言っても「公共の電波に乗る」以上は多くのお金(≒マンパワー&ブレーン)が投下されているわけで、「さすがTVだね」「ラジオすごいね」と思わされる企画はたくさんあると思っています)

 

商業出版とセルフパブリッシングの境界線

翻って、こと「書籍」についてはどうでしょうか。

「一般生活者が文章を書く場所」という点では、ブームを経て定番化した「個人ブログ」に加え、現在は「note」も注目の場になりました。

「マンガ」もまた、TwitterInstagram、pixivなど、誰でも手軽に使えるプラットフォームに公開することができます。

誰にとっても、文章やマンガを発表すること自体がたやすくなったのは確かです。

さらにAmazonKindle Direct Publishingサービスを使えば、Wordで作成した原稿を電子書籍として出版できます。しかも無料。もはや「個人が本を出すならウン百万円も用意しなければならない時代」ではなくなりました。

しかし私には、TVやラジオに比べ、商業出版とアマチュア出版の境目はまだまだ色濃いものであるように感じられるのです。

(「同人誌」という文化についても言及すべきなのでしょうが、今日はちょっと、横に置かせてください)

積極的に手にとってもらえていない?

私はこれまでに3冊の電子書籍を出版しています。

amzn.to

1冊目は電子書籍専門の出版社からですが、2、3冊目は前述のAmazonのサービスを使い、自力でお金をかけずに出版しました。

単刀直入に言って、売れていません。

もちろん、私のような無名の一般人が書いた電子書籍にお金を払ってくれた読者さん(いや、読者様!)がいるのも事実です。知人でもない通りすがりの方が購入してくれた様子もうかがえて、それはもう感動モノでした。

その一方で「売れていない」という現実もまた存在するのです。出版ボタンを押すとき、あれだけ胸をときめかせ、ドキドキしたにもかかわらず! あの心臓の高鳴り、返してくれよ!

3冊のうち1冊は表紙をイラストレーターさんに描いてもらいました。売上が少ないがゆえに、収益はいまだ赤字です。

敗因はいろいろあるでしょう。

奥ゆかしい性格(!)が災いして、著書のアピール、すなわち宣伝が足りていないこともありますし、ジャンルが「エッセイ」であるためニーズが乏しいことも想像できます。

タイトルの付け方や、Amazon上での検索キーワード設定がうまくいっていない可能性もあります。

そんな数多の理由のひとつに、Amazon利用者の「所詮はアマチュア出版でしょ」という視線もあるのではないかと思ってしまうのです。

本も見た目が9割?

Amazonにはセルフパブリッシング本(以下「セルパブ本」)を検索する機能はありませんが、それでも、セルパブ本は簡単に見つけられます。見分けるポイントは単純に「表紙のクオリティ」です。

プロのデザイナーさんが手掛けているケースもあるので断言はできませんが、多くの場合、セルパブ本の表紙にはそこはかとないアマチュア感が漂っているのです。

(具体的には申し上げません。おそらく、ご覧いただければ伝わると思います)

これだけで「見くびる」人がいるはずです。

「スーパーマーケットで、内容は同じだというのにプライベートブランドではなくナショナルブランドの商品を好んで購入するタイプの人」とでもいいましょうか。

「パッと見の第一印象」というハードルを乗り越えて手にとってもらえたとしても、本文中の文字やイラストのレイアウト乱れ、誤植、ら抜き言葉や敬体と常体の混在などで読みにくさを感じさせてしまったら、「やっぱり、所詮は一般人のお遊びだ」というネガティブな印象につながるでしょう。

実は私にも、心のどこかでセルパブ本を軽んじている節があるのです。

表紙はさておき、ページをめくって「本文を校正してあげたい!」と思わされたことが何度もありました。

目も当てられない誤字もいろいろ見つけました。

ブログのノリそのまんまで、本として読むには心がくじけてしまうこともありました。

……偉そうなことを書いてすみません。ただ私もセルパブ作家のひとりである以上、著者たちの労力は少し想像できます。

だからこそねぎらいの気持ちとともに読むわけですが、それでも「がっかり感」を抱いてしまったということは、執筆経験のない純粋な読者が感じる「読みにくさ」は、相当なものになると思うのです。

セルパブ本のなかには名著もたくさんあるのに、たまたま残念な読書経験をしてしまったがために、「セルフパブリッシング全体」に対して、「どうせ趣味でしょ」「所詮はアマチュア」といったネガティブな印象をもっている人は少なからず存在するはずです。

自分のセルパブ本に誇りをもちたいのに

読書したいのに、なかなか時間が捻出できない! という嘆き声はいつも四方八方から聞こえてきます。

そんな状況で名著や話題の本よりも優先して、前述の印象を抱いているセルパブ本を読むなんてことがあるでしょうか。

私のエッセイ本なんかより、郷ひろみの『黄金の60代』が読みたいでしょう? 私は読みたいです。

黄金の60代 (幻冬舎単行本)

黄金の60代 (幻冬舎単行本)

 

 ……と、こんなことばかり考えているせいで、拙著にもっと売れてほしいと思う一方、「どうせ一生懸命に宣伝したところで、所詮はセルパブ本だし……」という腐った気持ちをもつ自分がいます。

もちろん、そこに甘んじていることに情けなさも感じます。ほかのセルパブ本がどうであれ、自著には自信がある! 矜持がある! 本当はそう言える自分でありたいのです。

魂をこめて執筆し、時間をかけて校正し、タイトルにも表紙にもおおいに悩みました。渾身の力をかけたことは事実なのですから。

おわりに

TVを視聴する時間をYouTubeに回すように、ラジオを聴く時間をPodcast聴取に費やすように、本を読む時間にセルパブ本を手に取ることが、「あたりまえ」になる日はこないのでしょうか?

どうしたら私自身がセルパブ本にわくわくするようになるのでしょうか?

このブログでは、セルフパブリッシング本について考えたことを不定期で書いていきたいと思います。

はてなブログアカウントをお持ちの方であれば、寄稿も大歓迎です(謝礼はできません、すみません…)。

私のTwitter(@yamama48)宛にご連絡ください。